オリジナルのエレガンスを踏襲しつつISO規格をクリアせよ。「ダイバー1964」開発の舞台裏を語り明かす
2021年12月07日
2021年、オリエントスターはブランド誕生70周年を迎えました。その長い歴史の中で異彩を放つ1964年製の「オリンピアカレンダーダイバー」に着目し、現代にリバイバルさせたモデルが「ダイバー1964」です。リバイバルといっても単なる復刻ではなく、開発の際には守るべきもと変えるもの、いわば伝統と進化が焦点となりました。1964年と2021年をつなぐ開発の舞台裏を、企画設計の田邉大輔、外装設計の比田井好広と青木貴裕が語り明かします。
文:with ORIENT STAR 編集部
往時のデザインと現代の性能、二律背反に立ち向かう
――「ダイバー1964」はオリエントスターでは珍しく、過去の時計に着想を得たモデルです。開発にあたり、どんなことから着手したのでしょうか。
田邉大輔(以下、田邉) 今年2021年、オリエントスターは誕生70周年を迎えました。その節目を前に、もう一度ブランドの過去の資料を徹底的に調べ上げることから始めました。その結果、じつは社内でもほとんど認知されていないモデルがあることが分かったのです。それが「オリンピアカレンダーダイバー」です。
――社員もほとんど知らないとは、驚きです。
田邉 大きな発見でしたね。なぜ認知されていなかったかというと、この手巻きのファーストダイバー(オリンピアカレンダーダイバー)が出てから1年もたたないうちに自動巻きのセカンドダイバ ー(カレンダーオートオリエント)が出ました。非常に短命なモデルだったのです。
――なぜファーストダイバーをよみがえらせることになったのですか。
田邉 それは二つ理由があります。まずはこのモデルをもっと多くの方に知っていただきたいということ。そしてもう一つがこの時計のデザインです。この時計が制作された1960年代は高度経済成長期で、スキーやレジャーが浸透して腕時計の用途が一気に広がり始めた時代。そのため、スポーツの要素が全面的に現れた、いかにもダイバーなデザインではなく、スマートさやエレガントさが残っています。当時の時代性を色濃く反映したデザインが、とても特徴的だと感じました。それと同時に、勤務形態が大きく変わってビジネス用の時計という観念が薄くなっている現代に、このスポーティーとエレガンスが共存しているデザインがとてもマッチすると思ったのです。
――半世紀以上前の時計ですよね。設計図や資料は残っていたのですか。
田邉 関連資料はほとんど皆無でしたし、もっと言うと実機を用意するのも一苦労でした。販売店さんやマニアの方にご協力いただきながら過去の文献や資料、仕様書などをかき集めて、実機を見ながら設計を進めていったという流れです。
――設計サイドでは、このモデルをよみがえらせると聞いてどう感じましたか。
比田井好広(以下、比田井) とても薄型で小ぶりなデザインなので、これを現代のダイバーとして再現するのは正直難しいんじゃないかと思いました。というのも当時と現代ではダイバーの条件がまったく違います。当時は40m防水でしたが、それを200m防水に高めながらこのデザインを再現しなければならないという、非常に難しい設計だと思いましたね。企画から「なるべく薄くしたい」と話があって、青木がかなり苦労して何度も図面を描いていたのを覚えています。
青木貴裕(以下、青木) デザイナーのアイデアを見た時、本当に「無理です」と言ってしまったほどです。そこから一つ一つ、デザイナーと議論や検討をしながら設計していった感じです。
――200m防水を確保しながら薄くエレガントに、というのは物理的に困難ですよね。どうやってクリアしていったのですか。
青木 ダイバーの時計はサファイアガラスや回転ベゼルが目立つことが多く、それが厚く見えてしまう原因になります。そこでまずは、サファイアガラスをドーム状の球面にして、ベゼルがそのガラスよりも低くなるように設計して薄く見せています。
比田井 ただ、サファイアガラスは球面にすると、何かにぶつけた時に衝撃が集中するので割れやすくなります。防水性のほかに耐衝撃性などもダイバーの条件になるので、それらを考慮してガラスの厚みを検討しました。
――条件というのは、ISO(国際標準化機構)のことですね。
比田井 そうです。耐衝撃性に関して言うと、文字板上のパーツにも気を使いました。1964年のオリジナルモデルでは時分針の形状は平面だったのですが、今回は光を受けた時に輝くように、山のような傾斜をつけた峰カットにしたいと。傾斜の部分を削ると当然強度が落ちてしまうので、衝撃検査を何度も行いましたし、あとはインデックスです。一般のモデルではインデックスを別のパーツでつくり、それを文字板に取り付けるいわゆる植字式ですが、それだと衝撃を受けた際に外れてしまう可能性があるため、ダイバーモデルは文字板と一体型にします。一枚の金属板から、12カ所のインデックス部分を下から打ち上げて突起させ、上面をダイヤカットするという方法でつくっていますが、オリジナルのインデックスに比べ、形状をシャープに作り込み、まるで植字と見違えるような別体感を実現しました。
――強度とデザインのせめぎあいですね。
田邉 インデックスについては、デザイン面でも苦労しました。ISOの規格では60個の分目盛りが文字板かベゼルになければなりません。通常はベゼルに入れることが多いのですが、このモデルはベゼルに目盛りがないすっきりとしたデザインが特徴です。そうすると文字板に入れなければならないのですが、文字板には突起した12個のインデックスがあって、しかもオリエントスターの時計はパワーリザーブ・インジケーターを入れるという決まりがあります。それらの制約の中で60個のドットを入れるのに苦労しましたが、何とかバランスを取れたかなと思います。
リバイバルならではのプレッシャーに打ち勝った
――では続いて、外装のケースやブレスレットについてですが、こちらもやはりISO規格が壁となったのでしょうか。
青木 そうですが、2019年に200m防水のダイバーを製造していたので、そのノウハウを生かせました。今回新しく取り組んだのは、どちらかというと美観の面です。ラグの部分、当社ではカン足と呼んでいるのですが、その面と面がぶつかる部分に細い鏡面を入れたり、仕上げを鏡面と筋目で分けて陰影を出したりといった工夫で、なるべく薄く見えるようにしています。
田邉 メタルバンドについても、通常ダイバーは3連のバンドにすることが多いのですが、今回はドレッシーさを打ち出すために5連にしています。カン足と同じく、こちらも少しエッジのきいた鏡面を入れてやや色気のある仕上げに。あまりエッジをきかせてしまうと手を切るおそれが出てしまいISO規格をクリアできないので、そこも非常に吟味したところです。
――ありとあらゆる部分に皆さんの奮闘の痕跡がありますね。
青木 奮闘といえば、私がとても苦労したのがケースの裏蓋の部分です。オリジナルモデルは裏蓋に12角形の部品が付いていて、それを回して開け閉めを行う設計になっています。ただ、現行品の裏蓋にはU字型の溝が入っていて、そこで裏蓋の開け閉めを行います。そのため、正直に申しますと、今となっては12角形の部品は機能的には不要なものなのですが、オリジナルの意匠だから再現したいという要望がデザイナーからありまして。この12角形は面が多いので非常に磨きにくいんですね。結果、研磨の職人さんから非常に怒られました。自分よりすごく年上の職人さんとできるだけ磨きやすい形状を探しながら、何とかお願いしますと頼み込んで……。今となってはとても勉強になった経験です。
――でも、過去のモデルをリバイバルする際は、その当時の意匠はとても大切な要素です。
田邉 企画サイドとしては無理を言ったと思っています(笑)。でも、変えるべきところと守るべきところの区別が重要だと思っていました。性能面では現代のダイバーズウォッチと自信を持って言えるものに進化させる一方で、ドレッシーなデザインや当時ならではの意匠はしっかり守ったつもりです。
――実際に「ダイバー1964」が発売された今、このプロジェクトを振り返ってみてどんな思いですか。
青木 防水性能だけではなく耐衝撃性や耐蝕性、それに視認性など、クリアしなければならない条件がいろいろとあり、通常の時計に比べて要求事項が多いのがダイバーズウォッチです。オリエントにはダイバーズウォッチをつくってきた長い歴史がありますが、それらの要素を丁寧に落とし込みながら設計ができたのではないかと思っています。
比田井 昔のモデルの復刻というと、往々にして古くさかったり、昔っぽい印象になったりということがあります。今回のモデルの設計では、いろいろな品質を確保するうえで多くのモディファイがあったのですが、最終的にはカッコいいな、いい時計だなと思えるように仕上がったと思います。ちょっとダイバーっぽくないところも含めていい味が出ていますし、設計を担当できて良かったです。
田邉 オリエント時計は、1960年代、70年代にすごくとがったモデルが多くて、特に60年代のダイバーのデザインは非常に特徴的なものが多いんですね。ただ、オリエントスターで過去のモデルにスポットを当てた商品というのはほとんどつくっていませんし、私自身もそういう企画に携わるのが初めてでした。今回のモデルでは、ダイバーの歴史があることを多くの人に知っていただきたいという思いはもちろんですが、60年近く前に最初のダイバーをつくった人たちの思いを受け継ぐという部分にすごく喜びを感じました。一方で、これまで感じたことのないようなプレッシャーもありましたね。当時の方々に「いいものをつくったな」と言ってもらえるものをつくらなければならないという使命感というか。「つなぐ」という部分では本当にいい経験をさせてもらったと思います。
――その当時のことをご存じの方はいるのですか。
田邉 現在のところ把握できていませんね。もう60年も前のことなので。もしお目にかかれるのなら伺ってみたいです。「この時計、どうですか?」と。