湖面に揺らめく月の光が情緒的な気分をいざなう。「メカニカルムーンフェイズ」の文字板に広がる詩的な世界
2022年11月8日
この秋登場した「メカニカルムーンフェイズ」は、オリエントスターの時計作りに新しい扉を開くメモリアルなモデルです。そこに込められた作り手の思い、技術、そして美しさのわけを、企画担当の桐生彬とデザイン担当の久米克典に聞きました。オフィシャルビジュアルを担当してくれた画家・西野正望さんからも、メカニカルムーンフェイズに対する貴重なご意見をいただきました。
田沢湖というワードですべてのイメージがつながった
オリエントスターの「メカニカルムーンフェイズ」は、2017年に登場して以来、バリエーションの充実や持続時間の向上などを重ね、現在ではブランドを代表するモデルになっています。
「メカニカルムーンフェイズはオリエントスターの顔となっているモデルです。しかし現状に満足せずに、時代の流れに合った進化が必要だと感じていました。昨今、カジュアルな服装で時計を身に着ける機会は増えています。メカニカルムーフェイズも時流に合った新たな表現の確立、近年のライフスタイルに合った演出が必要でした。そのヒントになったのが、昨年発表したマザー・オブ・パール(注:真珠母貝のこと)の文字板のモデルです。好評を頂く中で、マザー・オブ・パールならではの色の移ろいと、メカニカルムーンフェイズの情緒的な価値を結び付けることにより、より洗練したものにできないかという考えがありました」
開発初期をそう振り返るのは、このプロジェクトの企画を担当した桐生彬(セイコーエプソン、ウェアラブル機器事業部所属)です。メカニカルムーンフェイズのファーストモデルからデザインを手がけてきた久米克典(同)とブレストを進めるなかで、「湖面に浮かぶ月」というイメージにたどり着きました。
「これまで以上に情緒的な表情に仕上げるためにマザー・オブ・パールの美しさを生かしたいという思いや、オリエントスターがつくられている秋田という地を大切に考えた結果、導き出されたのが田沢湖というキーワードでした。オリエントスターがつくられている秋田という地、そこにある田沢湖、湖面の揺らめき、そこに映る月、自然が見せる季節感……などいろいろなピースがうまくはまっていったんです」(桐生)
さらに、マザー・オブ・パールの文字板はオリエントスターの伝統を受け継ぐものでもあったそうです。
「オリエントブランドの歴史を振り返ってみるとマザー・オブ・パールの貝製の文字板や、カラーやグラデーションの文字板をすごく得意にしてきました。今回のモデルでは、そういったブランドのDNAをうまく受け継いで現代的に昇華できたのではないかと思います」(久米)
マザー・オブ・パールとディテールワークで“詩的”な世界感を創出
実際に完成したメカニカルムーンフェイズを見ると、何よりも目を引くのはやはりマザー・オブ・パール文字板の美しさです。
「一番苦労したのはグラデーションの表現です。マザー・オブ・パールは自然物なので、最適な貝の切り出し位置、裏打ちと呼んでいる処理、その上でのグラデーション加工と試行錯誤が多かったですね。第一次試作は、残念ながらすべてボツ。この試作を失敗したら商品化できないという瀬戸際のところでようやく理想の文字板ができた。意識したのはグラデーションの入り方です。グラデーションが強すぎるとインデックスがある外周部分の色の明暗が出ず、逆に弱すぎると全体が明るくなってグラデーションの意味がなくなってしまう。そのあんばいがとても難しかったですね」(久米)
狙ったグラデーションを表現するために、マザー・オブ・パールにもこだわったそうです。
「今回は、グラデーションをかけた後でもマザー・オブ・パールの良さが引き立つよう、あえて個性的な表情を見せてくれるものを選んでいます。今の時代に求められる個性や多様性といった視点も入れて、他にはないオリエントスターらしい美しさを提供できればと考えたためです」(久米)
今回のメカニカルムーンフェイズでは、グラデーション文字板の色違いで2つのモデルがラインアップされています。田沢湖の季節から派生して、すがすがしい新緑の季節をイメージしたグリーンの文字板と、晩秋の落ち着いた雰囲気をまとったグレーの文字板の2モデルです。特に新緑をイメージしたモデルは、このD2Cサイト「with ORIENT STAR」でのみ販売される限定モデル。特別感もひとしおです。
さて、文字板を眺めていると、もう一つ、今回のメカニカルムーンフェイズの特徴が見て取れます。オリエントスターのファンの方ならお気づきかもしれませんが、このモデルは文字板にオープンワークを設けたセミスケルトンタイプではなく、文字板すべてをマザー・オブ・パールで覆ったクローズドの文字板が採用されています。企画者の桐生はその理由をこう話します。
「セミスケルトンはオリエントスターの大きな強みです。しかし、今回の商品ではマザー・オブ・パールを使用した文字板の美しさにフォーカスしたかった。それにはセミスケルトンなしの方が表現として整うと思いました。またこの取り組みは、メカニカルムーンフェイズの表現の可能性を広げることにもつながると考えています。社内で検討を重ねてセミスケルトンなしでいくことを決めました」
とはいえ、これまでの強みに頼ることなく魅力的なフェイスを生み出すのは、そう簡単なことではありません。デザイナーの久米も不安を感じたそうです。
「今まであったセミスケルトンがなくなると、やはりなにか物足りなくなってしまうのではないか、それに代わる表現がはたしてできるのか、という不安はありました。でも、マザー・オブ・パールの表情やグラデーションがうまくはまり、セミスケルトンを補って余りある表現ができたと思います。それと今回はディテールを見直したことも大きかったです。インデックスのローマ数字はシルバーの肉盛り印刷。リングパーツにはグレーのめっきを施し、時分針は山型の峰カットに変更して鏡面と筋目の仕上げ分けを施しています。また、マザー・オブ・パールにはブランドのオリジナリティーやこれまでのモデルとの関連性を出すため、独自のOSパターンを透明印刷で施しました」
湖面のように光が揺らめくマザー・オブ・パールの文字板と、それに合わせて再解釈したディテール。それらは目に見える美しさとなって現れただけでなく、メカニカルムーンフェイズで届けたい思いをさらに深化させるきっかけにもなったそうです。
「もともとこのメカニカルムーンフェイズには、忙しい日常をしばし忘れて、文字板上の月齢を眺めながらゆっくりとした時間の流れを楽しんでほしいという思いがあります。今回のマザー・オブ・パール文字板のモデルは、詩的という表現がすごく合うと思っていて、より感性的な価値を織り込むことができたと思う。この時計と日本画を合わせたビジュアルまで含めて、いい表現ができたと思います」(桐生)
「クラシック基調のデザインはそれ自体がすでに感性的な価値に寄った時計なのですが、そこをさらに深堀りして詩的、叙情的、情緒的な価値に結びつけられたと思います。日本画では月を銀箔で表現されるんですよね。今回のモデルは月齢の月を銀にしたのですが、そういった部分のつながりや、日本画ならではの情緒的な表現というのがうまくシンクロしたと思います」(久米)
文字板のデザインに風景のような絵を感じた
2人が話す日本画というのが、今回このモデルのために日本画家の西野正望さんが描き下ろしてくれたオフィシャルビジュアルのことです。1962年生まれの西野さんは、グラフィックデザイナーとして活動した後、東京藝術大学で日本画を専攻します。卒業後は、自身の作品制作に没頭する傍ら、歴史的な日本画の修復作業なども担当。伝統的な日本画の技法と現代のデザインを融合させる作家として注目を集めています。
「最初にメカニカルムーンフェイズのビジュアルを見たときは、イメージとしては風景のような絵を感じる文字板のデザインだなと思いました」
第一印象をそのように感じた西野さんは、その印象にご自身の創作のテーマを掛け合わせながら制作を開始。意識されたのは「過去から現在、未来へとつながる時間と、回る刻(とき)」だったそうです。
「私のアートのテーマには時と間、時間とは何か、記憶とは何か、そうした概念への問いかけがあります。本来、時間とはそれぞれの記憶によって長く、あるいは短く感じたりするものではないか。そして生物(動植物、昆虫、微生物)それぞれにとっては、人間とはまったく違う時間感覚があるのではないかと思っています。ましてや別の銀河宇宙では現在・過去・未来などなく、人間の時間概念がまったく通用しない場所があるかもしれません。
私の本来の絵画には、あらゆる時間と記憶がレイヤーのように重なって出現する水墨作品と、絵巻のように長い物語時間の大和絵作品があります。そこには機械的には刻まれない光と闇の記憶空間があるのです。今回のムーンフェイズ機構の時計には時を刻むだけではない、茫洋とした記憶風景のような空間を感じる気がします。今回の日本画作品はそのようなイメージで描きました」
一定のリズムで時を刻むことを使命とする時計でありながら、機械的には刻まれない光と闇の記憶空間と通じるものがある。直径わずか40mm程度のプロダクトでありながら、茫洋とした記憶風景のような空間を感じる――。メカニカルムーンフェイズの企画者やデザイナーが目指した詩的・情緒的なエッセンスは、日本画で時間概念を表現する西野さんにも確かに伝わったようです。この独特の世界観をぜひその眼と手で確かめてみてください。